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聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 前編

聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 前編

 

 

「はじめに」
私(絹声七色)はクリスチャンではありません。
しかし、聖書に関心を持ち旧約新約聖書を1度完読し、聖書解釈の600頁ほどの本を30年間で320回通読してきましたのでキリスト教の教義についてはある程度の知識があります。
世界の歴史や世界情勢を理解する上で「聖書」の理解はある程度必要であると思います。

※なお本文は前後編合わせて21,500文字を超える長文です。




https://ameblo.jp/leo085/entry-12261466660.html

 

『聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 前編』



2017年04月01日



こんにちは。


今回は、多くのキリスト者が誤解している点について、正しい理解をお伝えするため、また、キリスト者ではない方に対しても重要なお知らせをします。



何故、キリスト者ではない方に対してもと言いますと、キリスト者であるか否かを問わず、世界中の人間に適用される事柄やからです。よって、以下の事柄は、この記事を読んで事実に向き合う人、向き合わない人、この記事をそもそも目にも留めない人や巡り合わない人(検索をしないから)、すべての人に関係することです。さて、皆さんは、聖書を読んだことがなくても、ヨハネの黙示録については聞いたことがあるかもしれません。例えば、将来がどうなるのか気になる人は、色々検索していくうちに、一度位はその名前を見たり、聞いたりしたことがあるかもしれません。しかし、あなたが聖書の一部と分かった時、「なんだ、キリスト教か。自分には関係無いね。」と思って気にも留めへんかったやろな。ヨハネの黙示録に限らず、聖書には他にもいくつか預言書(ダニエル書、イザヤ書等)があります。言っておきますが、聖書で重要なのは、ヨハネの黙示録だけではありません。



預言というのは、予言ではありません。預言は、神から啓示を受けた人間がその言葉を代理で文書に残したり、語ったりするものです。終わりの時には、「偽メシアたちや偽預言者たちが現れて、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするために大きなしるしや奇跡を起こすからです。」(マタイ二十四章二十四節拙訳)と主イエスが注意喚起なさっているので気ぃ付けてください。しかし、聖書の預言は神の言葉であり、これは必ず実現します。神に出来ないことは何もなく、聖書の預言は正しく、聖書にも記載内容は真実と書いており、主イエスも「我についてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、すべて必ず成し遂げられる。」(ルカ二十四章四十四節拙訳)と保証されました。また、歴史がそれを証明しています。信じられない人は、実際に聖書を読み、研究してみてください。そうすれば、分かります。たまに、自分が神から啓示を受けたとか(その一例がRAPT)、普通の人には出来ない超自然現象(魔術や科学技術等)のようなことをして惑わせようとする人も多く出現して見かけることになると思いますが、彼らはすべて偽物なので、絶対に信じないで関わりを持たないでください。超自然現象はサタンでも起こせるからです。そして、予言というのは、未来に起こることを確証がなく、その時その周りにある状況証拠のみで推測することです。例えば、天気予報みたいなものです。天気予報がよく外れるように、明らかに「予言」には確実性が無いのが分かりますね。預言と予言の両者を混同しないでください。巷の占い師等がすることはこの予言であって、預言ではありません。ですから、外れるのです。ノストラダムス(医師、占星術師)だのマヤ暦がどうのとか、正確な聖書解釈に基づかない世間で噂になるものはすべて出鱈目です。そして、彼ら(占い師等)はこう言い訳をします、「当たるも八卦当たらぬも八卦」と。殆どが当たらないのは正当な根拠も無く、いい加減なので外れるのが当たり前なのですが、当たるときもあります。そのときは悪霊の仕業です。その占い師が悪霊使いということです。占いというのは、未来に起こることが約束されたことを当てるのではなく、実際に悪霊の力で無理矢理実現させることです。だから、当たったように見え、その占い師を盲信して、心を奪われて、貢いだりするのです。したがって、キリスト者が占いに関係しているのであれば、その人は真のキリスト者ではありません。表向きはそのように振舞っていても偽り者です。なぜなら、以下、聖書にあるとおり、占いは神から禁じられたことですので、真のキリスト者は、占いや呪術を行ったり、それを信じたりしません。



旧約聖書 申命記 十八章十節〜十四節(拙訳)

あなた方の間に、自分の息子や娘に火の中を通らせる者、占い師、予言者、魔法使い、呪術師、呪文で魅了する者、口寄せ、霊媒者、降霊術者が見出されてはならない。これらのことを行う者はすべて、主にとって嫌悪だからです。これらの嫌悪の故に、あなたの神、主はその者らをあなた方の前から追い出されるであろう。あなたは、あなたの神、主と共に完全な者でないといけません。あなたが支配するこれらの異邦人らは予言者や占い師に聞き従うが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しになりません。



少し前置きが長くなりましたが、本題に入ります。聖書の預言書の一つである、ヨハネの黙示録について見ていきます。ヨハネの黙示録といっても、いくつかの部分から成り、かなりの分量があるので、すべてのことについて書くことはできません。したがって、ネット上でも、おそらく教会においても、多く誤解されている点と今後の展望についてのみ焦点を置いて述べます。



まず、多く誤解されている点についてです。

一 その記載されている内容を文字通りに解釈する。

二 携挙は艱難前、中期に起きる。

三 獣の数字である六百六十六が、ローマ皇帝ネロ等、過去の歴史上大物の人物を指す。

四 獣の刻印はマイクロチップである。

【※携挙(けいきょ、 rapture)とは、プロテスタントにおけるキリスト教終末論で、未来の主イエス・キリストの再臨において起こると信じられていることである。まず神のすべての聖徒の霊が、復活の体を与えられ、霊と体が結び合わされ、最初のよみがえりを経験し、主と会う。次に地上にあるすべての真のクリスチャンが空中で主と会い、不死の体を与えられ、体のよみがえりを経験する。Wikipedia (JA)



今回は、一と二のみについて記述します。三と四については、追って書きます。後編をお読みください。



一 その記載されている内容を文字通りに解釈する、について

ヨハネの黙示録は、文字通りに解釈することが絶対にできない箇所が多くあります。聖書内の他の預言書も同様ですが、もし文字通りに解釈すれば、まったく意味が分からないものになり、何も理解できなくなります。聖書は、とても古い書物で、歴史上の権力者たちのことを直接書けば、それを権力者が発見したら、彼らにとって都合の悪いものとなり、確実に聖書が聖書として世に出ないことになります。そういう訳で、象徴的に書かれていることが多いです。これを見抜ける者には分かり、見抜けない多くの人にとっては無益記載事項と看做されて放っておかれ、現在まで我等が読める機会が与えられたのです。後で記述する、獣の刻印というのものも含め、他も比喩です。そして、年数や人数についても文字通りではない箇所が多々あるです。列挙すると際限がないので割愛します。



二 携挙(けいきょ)は艱難前、艱難中に起きる、について

まず、携挙が何のことか分からへん人のために書きます。携挙は聖書自体にその言葉がある訳やなく、以下の様相を示した言葉です。携挙とは、父なる神と主イエスに死まで従順に従って眠りについたすべての聖徒の霊(殉教した人たち等)が、主イエスの再臨時に呼び起こされ、霊と朽ちない新しく与えらえた体と結び合わされて復活して天に上げられます。次に、地上で生きているわずかの真のキリスト者も天に引き上げられて主イエスと会い、朽ちない体を与えられることです。聖書でそのような記述が以下のとおりあります。



新約聖書 マタイによる福音書 二十四章二十九節〜三十一節(拙訳)

しかし、それらの苦難の日々のすぐ後、太陽は暗くされ、月はその光を出さず、星々は天から落ち、各天の天軍は揺り動かされるだろう。また、その時、人の子のしるしが天に現されるだろう。そして、その時、地のすべての民族は悲しみ、人の子が力と大いなる威厳に満ちて天の雲に乗って来るのを見るだろう。人の子は、大きならっぱの音と共にその天使たちを遣わし、天使たちは各天の果てから果ての四つの風の彼の選ばれた人たちを集めるだろう。



新約聖書 マルコによる福音書 十三章二十四節〜二十七節(拙訳)

それらの日々において、苦難の後、太陽は暗くされ、月は光を出さないだろう。また、天の星々は落ち、各天の天軍は揺り動かされるだろう。その時、大いなる力と威厳に満ちた人の子が乗って来るのを人々は見るだろう。その時、人の子はその天使たちを遣わし、地の果てから天の果ての四つの風から彼の選ばれた人たちを集めるだろう。



上記箇所が携挙の根拠となるものです。



次に、艱難について書きます。

艱難は、辞書では困難に出あって苦しみ悩むことやそのさま、と定義され、聖書内に直接その言葉はありませんが、苦しみや苦難という言葉はあり、その意味のことを指して艱難と呼びます。苦難については以下のとおりです。



新約聖書 マタイによる福音書 二十四章二十一節〜二十三節(拙訳)

その時、世の初めからこの時までなく、将来も決してないような大きな苦難があるからです。そして、もしその期間が縮められなければ、誰も救われない。しかし、神に選ばれた人たちのために、その期間は縮められるだろう。



たとえ、聖書を読んでなくても、最近の異常気象(四十度近い猛暑、季節外れの寒暖差)や地震(すべてが自然地震ではない)、ISISやイスラム過激派による暴力行為(米国偽ユダヤの自作自演)、政治家や公務員等による悪事や犯罪等を多く見るようになり、昔に比べればおかしなったと実感する人が多いことでしょう。しかし、上記の聖書のとおり、今後は、今起きていることと比較にならん程の大艱難が来るというのです。ところで、何故、神は艱難を我々に与えようとするのか考えたことがありますか。人間を愛しているという神が何故いじめるようなことをするのかと神を責めたりしていませんか。そうだとするならば、それはあなたが神を愛していないからです。神は御自身がお選びになった人間を愛しておられ、その者らが救われて欲しいと願っています。神は我等が乗り越えられないような試練はお与えになりません。あなたが、慈悲深い神があなたを助けないと言うならば、あなたは神を愛し、神の掟を守って生きているか自問自答してください。出来ていないのだったら、助けを受けられないのは当然なんです。例えば、あなたが召使いを雇っているとして、その召使いがあなたが決めた掟を守らず、言うことも聞かないのであれば、解雇したくなるでしょう。それと同じようなものです。もっとも、救われるというのは、肉体的に救われるという意味ではありません。肉は永続的なものではありません。肉は、死後に腐敗して消え去るものです。ですから、肉体的にではなく、魂が救われるという意味なのです。



神は、今いる地上の人間すべてに対して、選択を迫ろうとしているのです。それは、神につくのか、それともサタンが支配する人間たち(権力者たち)につくのか、の選択です。なぜなら、神は最終的には悪が一切存在しない世界の構築を予定されているからです。ヨハネの黙示録を読まれるとお分かりになると思いますが、サタンの敗北、そして最後の裁きの後に来る世界のことです。そこまで残る人を選別するために、神はすべての人間に選択を迫るのです。残る人は、主イエスのように神の掟を守る信心深い人(神への愛故に殉教出来る位)でなければ到底無理です。神を否定する者や無神論者と他の神や偶像を崇める者、信仰が浅く脱落する者は、死後肉体的にも滅び、魂も滅びる運命です。さて、ここで聖書を見ます。



新約聖書 ヨハネの黙示録 三章十節(拙訳)

あなたは我が忍耐の言葉を守っているので、地上に住む人々を試すため全世界にやって来る誘惑の時から、我もあなたを守るであろう。



一般に流通する日本語訳聖書のこの節の誤訳が原因で、様々な憶測を生み出してます。しかし、ここで守られるのは、勿論、神の掟を守って主イエスの信仰を固守している者だけです。上記聖句が意味することは、全世界の人々の品性と信仰の不動さを証明するために来る大艱難を暗示し、すべての人間が持つ肉の弱さから来る誘惑(死にたくない、命の危険を避ける動物的な本能)に負けない強さを主イエスからいただけるということです。それは神の掟を守る主イエスの信仰を持って世に倣(なら)わない非常に少数の真のキリスト者だけが対象です。よって、キリスト者も他の人々と同じように試練である大艱難を過ごすことになるということです。決して、この世から引き上げて空中に避難させてくれるということではありません。つまり、信仰が薄い自称キリスト者の隠れた実体がはっきりとする日が来るということです。日頃から教会に通ったり、なんとなく聖書をかいつまんで読んだり、讃美歌を歌ったり、そういうことをしているにわかキリスト者、そして、世の現状や聖書の核心を教えず、カトリックの影響で神の掟である安息日を蔑ろにする日曜礼拝やイースター、クリスマス等の聖書に書かれていない異教の祭を催すプロテスタントの牧師や彼らに追従する者らもにわかキリスト者たちです。彼らは苦難に直面したとき、信仰が無いに等しいのでその苦難への忍耐をせず、キリストに似た品性も無いから、完全に脱落するでしょう。また、多くの人は、カトリック正教会プロテスタント等と世間でキリスト教と思い込まれている団体が主イエスを信仰していると思っていると思いますが、それは嘘です。そう断定する理由は、カトリックが偽キリスト教であり、反キリストの集団であることが明白だからです。詳細は、拙者の過去記事「カトリック、統一教会、神道、仏教、イスラム教等はすべて嘘」を読んでください。

携挙のようにいくつかの説に分かれて争点になるところは、翻訳が不正確なために起こるもので、正しい底本の原文を読むのが一番良い解決方法です。この艱難期前携挙説(秘密携挙説)は、実は、映画や小説に登場しているのです。Left behind(レフト ビハインド)とThe Remaining(リメイニング)が有名ですね。これらは二千十四年に公開された米国の映画です。私はこれらを実際に見て確かめましたが、どちらも災いが起こる前にキリスト者が携挙されて災いから逃れる(艱難期前携挙説)状況を描写していました。しかし、これらは嘘です。そもそも、映画業界はすべてイルミナティ支配下にあるので、正確な聖書解釈は出来ないし、正しい情報は流さないに決まっています。何も知らない人は簡単に騙されるので、これを知った読者のあなたは、今後、映画や小説にも騙されないように気を付けてください。また、以下の箇所が決定的です。



新約聖書 マタイによる福音書 二十四章四十三節〜四十四節(拙訳)

しかし、このことを理解してください。もし家の主人が泥棒は何刻に来るかを知っていたら、目を覚ましていて、自分の家に押し入らせないでしょう。ですから、あなた方も用意していてください。思いがない時に人の子は来るのですから。



新約聖書 ペトロの手紙二 三章十節(拙訳)

しかし、主の日は夜の盗人のように来るであろう。その時、各天は大きな音をたてながら崩壊し、更に諸要素は焼かれ滅ぼされるでしょう。また、地とそこにある業は焼き尽くされるでしょう。



主イエスは天から降って燃え盛る火で不信仰の者や異教徒ら、偽福音を信じるにわかキリスト者らに罰を与えるとあり、環境的にも穏やかであるような描写ではありません。ですから、決して秘密にこないのです。主イエスが来る時は、来たことが分かるんです。また、「盗人が夜にやって来るように」をその文字通りに解釈して、こっそり来ると解釈する人がいるようです。これはそういう意味やなく、「思いがけない時に、不意に」という意味です。泥棒や強盗が事前に来ることを察知出来ないということです。それは真のキリスト者は聖書を読んで理解しているので、いつ来ても驚かず、突然襲われたと感じないが、信じていない人にはとっては不意に来るようなものであるということを聖書は言っています。したがって、多くの人が主張する、艱難期前携挙説(秘密携挙説)は誤りということが明白です。そういう主張をする人は聖書を知っていない証拠です。聖書は上記をはじめ、至るところで、その時がいつ来てもいいように常に準備を怠らないようにと書かれてます。つまり、抜き打ち試験のようなものです。神は、人の性質をよくご存知です。入試や資格試験のような大きな試験は除きますが、過去私もそうでしたが、皆さんも学校に通っていた頃、若しくは通っている現役学生は、普段は部活に熱心になったり、遊んだりすることに注力して、中間・期末試験前になって慌てて準備をしますね。そして、試験が終わったら、また以前の生活に戻るということを繰り返した経験がありますね。このように、人間は限りなく楽をしたい方向に行く傾向があるので、期限を設定するとそれに向けてぎりぎりに準備を始めるのです。これをこの艱難からの救いにあてはめるとどうでしょうか。当然、皆さんは今までに無かったような苦難なんて経験したくないでしょう。しかし、いつ起こるか分からないことのために準備するより、今を楽しみたいという気持ちが勝っているのではないでしょうか。その時が来る直前に準備をするような狡猾な人が、後の悪のいない世界に相応しい人でしょうか。有り得ません。今を楽しみたい、死ぬまでの地上での生活がすべてだ、今の生活を改めることを拒むのはサタンの誘惑に負けているし、自我も否定出来てない状態です。この誘惑を打ち勝つことが出来ない人は、その他大勢の一員になることがほぼ確定なのは明らかでしょう。キリストの再臨時、人の運命が永遠に分かれるのです。主イエスが来る時には、それより前に救われるか否かの審判は既に下されているのであり、下した審判を基に救われるべき人を迎えに再臨されるのです。この点を勘違いしないでください。また、上記の艱難期前携挙説(秘密携挙説)や映画等が言っているように、神を否定する者、神を信じない者、神に従わない者たちが、何故生き残るかのように宣伝しているのでしょうか。聖書は、以下のとおり、彼らが生き残るように言っていません。



新約聖書 ルカによる福音書 十七章三十七節(拙訳)

そして、弟子たちが彼に答えて言う、「どこですか、主よ。」そこで、イエスは彼らに言われた。「死体がある所には、はげ鷹が集められるだろう。」



弟子たちは、義人(真のキリスト者)は天に昇ることを知っていましたが、天に昇ることが出来ない悪人(真のキリスト者ではない人全員)はどうなるのかについての質問を主イエスにしました。すると、主イエスが、悪人たちの死体は、はげ鷹と同じ場所にいると答えられました。その様子は、ヨハネの黙示録十九章二十一節にも書かれています。



新約聖書 ヨハネの黙示録 十九章二十一節(拙訳)

そして、残りの者どもは、馬に乗っている方の口から飛び出る剣で殺され、すべての鳥は彼らの肉で満たされた。



以上より、真のキリスト者ではない大多数の人々の末路が明らかですね。聖書を誤解釈する人々は、キリスト再臨後、少なくとも七年間は悪人たちに悔い改める機会が与えられるという作り話がありますが、聖書のどこにも根拠がありません。このような考えは、今は世俗的に暮らして、少しは苦難を経験するけれども、七年の大艱難の時にもう一度機会があるから、その時に悔い改めて天国に行こうと考えているのでしょう。秘密携挙を信じている人は、最後の大艱難が始まる前に携挙されると考えているので、大艱難を免れると主張します。しかし、上述のとおり、聖書に反しています。二度目の機会はありません。今すぐ悔い改めなければ間に合いません。キリスト再臨の前に悔い改めを終えて準備が整っていないと救われないのです。



なお、艱難期中携挙説についても、既に上述のとおり、明らかに誤りです。次の聖書の箇所を読んでください。



新約聖書 マタイによる福音書 二十四章二十九節〜三十一節(拙訳)

しかし、それらの苦難の日々のすぐ後、太陽は暗くされ、月はその光を出さず、星々は天から落ち、各天の天軍は揺り動かされるだろう。また、その時、人の子のしるしが天に現されるだろう。そして、その時、地のすべての民族は悲しみ、人の子が力と大いなる威厳に満ちて天の雲に乗って来るのを見るだろう。人の子は、大きならっぱの音と共にその天使たちを遣わし、天使たちは各天の果てから果ての四つの風の彼の選ばれた人たちを集めるだろう。



新約聖書 マルコによる福音書 十三章二十四節〜二十七節(拙訳)

それらの日々において、苦難の後、太陽は暗くされ、月は光を出さないだろう。また、天の星々は落ち、各天の天軍は揺り動かされるだろう。その時、大いなる力と威厳に満ちた人の子が乗って来るのを人々は見るだろう。その時、人の子はその天使たちを遣わし、地の果てから天の果ての四つの風から彼の選ばれた人たちを集めるだろう。



キリストの再臨(主の日)前に、「苦難の日々の後」とあり、艱難を経過することは明白です。聖書では、上記に限らず、ダニエル書で大言壮語して神の法や時を変更することや、ヨハネの黙示録の六百六十六という人間で、獣として、世界の人々にその秩序や法を強要し、従わねば皆殺しにするような凶悪な存在として書かれてます。勿論、直接的にローマ教皇とは明記はされていません。もし直接的に書かれれば、間違いなく聖書はとっくに隠滅されて今日まで残っていなかったでしょう。現に、過去の世界史上、ご存知のとおり、ローマ教皇は政治と結びつき、皇帝を上回る権力を振るいました。カノッサの屈辱が有名です。ローマ教皇は、千七百九十八年にナポレオンに攻められ、教皇ピウス六世が収監されて教皇の権威が失墜して死んだかのように思われましたが、千九百二十九年にイタリアのムッソリーニ教皇を復活させ、イタリア国内にバチカン市国を認めたのでした。そして、現在に至るまで勢力を蓄え、まさにこの時代に、ローマ教皇を中心として、ローマ教皇が操る米国主導で新世界秩序(New World Order)を作ろうとしています。二千十五年九月二十四日にローマ教皇が米国を訪問して、驚くべきことに、政治の中心である米国議会内で演説をしたのです。過去の歴史から学んで作られた政教分離の原則はどこに行ったのでしょうか。過去にもローマ教皇が米国を訪問したことはありますが、議会内に入って演説までするのは初でした。参考までにこちら(Bloomburg)。その時の演説内容はこちら。(USCCB)日本語はないので分からないならば、翻訳してもらえれば大体は分かると思います。



そのローマ教皇の演説内容で問題なのは、以下の七つの点です。

一 「我々の世界が暴力的衝突、憎しみや残虐行為が神や宗教の名でさえで行われる。」

あんた方が最近よく目にするISISだけではありません。過去の歴史では、ローマ皇帝教皇を頂点としたローマカトリックが数え切れない程多くのキリスト者を迫害して残虐な刑で殺害してきたことを忘れたらあきません。



二 「宗教だけに限らず、すべての種類の原理主義に注意しなければならない。」

これはカトリックの真のキリスト者に向けた迫害予告と取れます。聖書だけを神の御言葉を拠り所とし、キリストの再臨を望む人は彼らの言う原理主義者に当たります。原理主義カトリックのように聖書を捻じ曲げて解釈したり、モーセの律法を勝手に変更したりそのすべてが廃止されたものと看做さず、古代イスラエル以外(日本は古代イスラエルを継いでいる)の外国の異教の文化や考えを取り込むということをせず、聖書と主イエスの教えに忠実に従うことであり、何ら異端ではありません。カトリックこそが反聖書的な教義を持つ異端であり、異教なんです。



三 「現代社会は世の中のすべての事柄を二極化させ、対立させている。」

経済面の富裕層と貧乏層の格差を言っているようで実際は違います。キリストと反キリストの対立を暗示しています。勿論、ローマ教皇は反キリストの先頭を行く人物です。今後、世界は聖書どおりに主イエスに従うキリスト者になるのか、ローマ教皇や米国に従う反キリストになるのかという二極化し、殆どの人が後者になり多数派になるので、真のキリスト者は迫害されるでしょう。



四 「共通の利益のために、新たにした兄弟愛、社会的連帯と寛大的協力で一つになって、一緒に前進していかなければならない。」

人間がお互いに連帯し、政治、経済、宗教も連合させる、新世界秩序のことです。宗教面では、カトリックは上述のように古代ローマの異教文化を取り込んで聖書に書かれていないクリスマスやイースター等を作り出して悪魔崇拝や偶像礼拝をすると同時に、同じ悪魔の子を引き寄せて多くの信者を獲得し、勢力拡大をしてきました。今後は世界で二番目に多いイスラム教徒も取り込んでいくことでしょう。そのためにはカトリック教義は再編されるかもしれません。このように人々を取り込むために教義や信念を変えるのが信用に値するでしょうか。勿論、否です。聖書と主イエス・キリスト以外、拠り所とするものはありません。



五 「そのような協力体制(四の内容)は、新しい政策と新しい形の社会的同意によってのみ打ち勝つことができる重大な不公正から生まれた、新しい地球規模の奴隷形態を排除する戦いにおいて、強力な源になる。」

新しい政策や社会的同意とは、まさしく新世界秩序です。奴隷形態の排除とはよく言えたものです。ローマ教皇や米国をはじめとする権力者の支配層が他の人々を奴隷以下の家畜扱いしようというのに。



六「すべての資源の分配が必要です。」

人々が自分で働いて稼ぐ収入や私有財産を巻き上げて再分配する社会主義のような体制です。無論、社会主義とは旧ソ連支那北朝鮮といった支配層と被支配層に両極端に分かれ、被支配層が家畜のように虐げられ、搾取され、自由も人権も無い世界になるだけですので、理想とは程遠いのです。聖書(ヨハネの黙示録)では、獣の刻印を受けなければ売買ができないとあり、支配層の極悪人たちが完全に庶民の人権や自由を奪い、支配層の監視管理下に置く家畜化計画ということです。



七「私は米国と米国議会の役割が重要な役割を担うと固く信じている。今こそ勇敢な行動と戦略を実行する時である。」

ローマ教皇が米国議会に圧力をかけていることが明白ですね。何故、他国の立法機関でこのような発言ができるのでしょうか。ローマ教皇が新世界秩序を構築して世界を支配するために、米国から新世界秩序にふさわしい法律を作ったり社会の仕組みを作るように要請しているのです。彼は米国が世界で一番悪く、強力で、悪魔のために働くのに最適な国だと知っているからです。米国がローマ教皇に従えば、他国も続いてローマ教皇に従うだろうという算段です。



非常に長くなったので今回はここで終了とします。ローマ教皇については、引き続き、述べていきます。

後編に続きます。

 



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