kinugoe

悪魔崇拝者から人類を開放し、宇宙を平和な生活圏としよう

❝USA第51州の実態(024)戦時体制の諸事回顧及び補遺❞

❝USA第51州の実態(024)戦時体制の諸事回顧及び補遺❞

 

❝【日本という怪しいシステムに関する一見解】❞
(初稿1999.10.29)
❝平成15年5月16日改定 岡山県井原医師会鳥越恵治郎
(H26年4月17日一部改定)http://www.ibaraisikai.or.jp/information/iitaihoudai/houdai37.html

第37話「日本という怪しいシステムに関する一見解」

この記事は一冊の本になるような長文の論文です。
学校教育では日本の近現代史は尻切れトンボ傾向のようですが、今日に繋がる20世紀の日本の赤裸々な史実を通して日本の権力構造を解明しています。❞

今回はプロローグは省略します。
今後プロローグは数回に1度記載します。

❝USA第51州の実態(024)戦時体制の諸事回顧及び補遺❞

 

目次 


※陸軍と海軍、足の引っ張りあい
東条英機大将が自殺をはかり未遂
※考えてみると、おれは天皇について直接なにも知らなかった
加藤周一の怒り(『天皇制を論ず』、1946年3月)
※前線の兵士の飢えと難渋
※「軍神」とか「作戦の神様」とか、何を根拠に賞賛したのであろうか?。※日本がましな国だったのは、日露戦争までだった。
※日本人は敗れたことで過去をすべて否定し、現代の平和を享受しているが、本当にそれでいいのだろうか。
★1942年(昭和17年)の国権の背景
■「国民医療法」の制定、公布。
■医師会の官製化
■特別法人「日本医療団」設立。
■「日本銀行法」公布
■「食糧管理法」制定
■「翼賛選挙」(1942年、昭和17年4月30日、第21回総選挙)
※日本の政党政治は名実ともに消失した。
・ドイツがロケット兵器「V2」を完成(フォン・ブラウンら)     
アメリカ、マンハッタン計画を立ちあげる。(1942.9)
※レオ・シラードの箴言(しんげん。戒め)は無視された。

1943年(昭和18年)の補遺
■診療報酬支払い方式は「健康保険法」改正により健康保険、国民健康保険とも点数単価方式になった。※医者は皆保険医で、その代価は村役場からとる由。
マリー・キュリー白血病で死去
プルトニウムの精製が、この年の年末より盛んになってくる。
・抗結核薬の発見
・カチン事件(1943)
ブレトン・ウッズ体制の幕開け(機軸通貨がポンドからドルへ)
■ボナー・F・フェラーズ准将(マッカーサー軍事秘書官、心理戦責任者)の見事な分析による戦後の天皇制の維持への方針(1944年)。



本文

※陸軍と海軍、足の引っ張りあい。大局観の喪失、ワンマン体制・・・
挙句の果てが、「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いであった。
この頃から、両軍お互いの意地の張り合いが、目に付くようになつていく。バカげたことに、それぞれが自分たちの情報を隠しあってしまう。
「日本は太平洋戦争において、本当はアメリカと戦っていたのではない。
陸軍と海軍が戦っていた、その合い間にアメリカと戦っていた……」などと揶揄されてしまう所以である。
陸軍と海軍の意地の張り合いは、「大本営発表」が最もいい例であろう。
大本営「陸軍報道部」と「海軍報道部」が競い合って国民によい戦果を報
告しようと躍起になっていた。
やがてそれがエスカレートしていき、悪い情報は隠蔽されてしまう。
そして虚偽の情報が流されるようになっていく。
大本営発表」のウソは、この時期からより肥大化が始まる。
仕方ないのかもしれない、この当時、東條に向かって「東條閣下、この戦争は何のために戦っているのでしょうか」などと意見するような者がいたら、たちまちのうちに反戦主義者として南方の激戦地に転任させられてしまうのがオチである。
危機に陥った時こそもっとも必要なものは、大局を見た政略、戦略であるはずだが、それがすっぼり抜け落ちてしまっていた。
大局を見ることができた人材は、すでに「二・二六事件」から三国同盟締結のプロセスで、大体が要職から外されてしまい、視野の狭いトップの下、彼らに逆らわない者だけが生き残って組織が構成されていた。
昭和17年の頃の日本は、喩えていえば台風が来て屋根が飛んでしまい、家の中に雨がザーザー降り込んできているのに、誰も何もいわない、雨漏りしているのに、わざと見ないようにして、一生懸命、玄関の鍵を閉めて戸締りなどに精をだしている……、そんなようなものだった。
だが、そうした組織の”体質”は、今を顧みても、実は、そう変わらないのかもしれない。
昨今のNHKの、海老沢勝二元会長をめぐる一連の辞任騒動や西武グループ
の総帥、堤義明の逮捕劇など見ていると、当時の軍の組織構造と同じよう
に見えてしまう。
あれだけ大きな組織の中でワンマン体制が敷かれ、誰も彼に意見できず、傲慢な裸の王様の下、みな従順に飼い馴らされてきたのだ。
そして、危機に直面すると、何の具体策もない精神論をふりまわす。
保阪正康氏著『あの戦争は何だったのか』新潮新書、pp.122-123より)

渡辺清氏著『砕かれた神』(岩波現代文庫)より
東条英機大将が自殺をはかり未遂(九月十一日)。 
それにしてもなんという醜態だろう。
人の生死についてことさらなことは慎むべきだと思っているが、余人ならいざ知らず、東条といえば開戦時の首相だった人ではないか。
一時は総理大臣だけでなく、同時に陸軍大臣参謀総長も兼任していたほどの権力者だったではないか。
そればかりではない。
陸軍大臣だった当時、自ら「戦陣訓」なるものを公布して全軍に戦陣の戒め
をたれていたではないか。
「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」。
これはその中の一節であるが、この訓令を破っているのは、ほかでもない当の本人ではないか。
軍人の最高位をきわめた陸軍大将が、商売道具のピストルを射ちそこなって、敵の縄目にかかる。
これではもう喜劇にもなるまい。
東条はこの失態によって、彼自身の恥だけでなく、日本人全体の恥を内外
にさらしたようなものだ。
おれは東条大将だけは連合軍から戦犯に指名される前に潔く自決してほしかった。
あの阿南陸相のように責任者なら責任者らしく、それにふさわしい最期を遂げてほしかったと思う。
(p.23-24)

・・・「出てこいニミッツマッカーサー」と歌にまでうたわれていた恨
みのマッカーサーである。
その男にこっちからわざわざ頭を下げていくなんて、天皇には恥というものがないのか。
いくら戦争に敗けたからといって、いや、敗けたからこそ、なおさら毅然としていなくてはならないのではないか。
まったくこんな屈辱はない。
人まえで皮膚をめくられたように恥ずかしい。
自分がこのような天皇を元首にしている日本人の一人であることが、いたたまれぬほど恥ずかしい。
マッカーサーも、おそらく頭をさげて訪ねてきた天皇を心の中で冷ややかにせせら笑ったにちがいない。
軽くなめてかかったにちがいない。
その気配は二人の写実にも露骨にでている。
モーニング姿の天皇は石のように固くしゃちこばっているのに、マッカーサーのほうはふだん着の開襟シャツで、天皇などまるで眼中にないといったふうに、ゆったりと両手を腰にあてがっている。足をいくらか開きかげんにして、「どうだ」といわんばかりに傲慢不遜にかまえている。天皇はさしずめ横柄でのっぼな主人にかしずく、鈍重で小心な従者といった感じである。
だが、天皇天皇だ。よくも敵の司令官の前に顔が出せたものだ。
それも一国の元首として、陸海軍の大元帥として捨て身の決闘でも申し込みに行ったというのなら話はわかる。
それならそれで納得もいく。
といってもおれは別に天皇にそうすぺきだと言っているのではないが、ただそれくらいの威厳と気概があってほしかった。
ところが実際はどうだろう。
わざわざ訪ねたあげく、記念のつもりかどうかは知らないが、二人で仲よくカメラにおさまったりして、恬として恥ずるところもなさそうだ。
おれにはそう見える。
いずれにしろ天皇は、元首としての神聖とその権威を自らかなぐり捨てて、敵の前にさながら犬のように頭をたれてしまったのだ。
敵の膝下にだらしなく手をついてしまったのだ。
それを思うと無念でならぬ。天皇にたいする泡だつような怒りをおさえることができない。
(p.36-37)

夜新聞を読んでいて感じたことだが、この頃の新聞の豹変ぶりは実にひどい。
よくもこうまで変われるものだ。
これはラジオも同じだが、ついせんだってまでは、「聖戦完遂」だの「一億火の玉」だの「神州不滅」だのと公言していたくせに、降伏したとたんに今度は「戦争ははじめから軍閥と財閥と官僚がぐるになって仕組んだものであり、聖戦どころか正義にもとる侵略戦争であった」などとさかんに書いたり放送したりしている。
まったく人を馬鹿にしている。
それならそれでなぜもっと早く、少なくとも戦争になる前にそれをちゃんと書いてくれなかったのか。
事実はこれこれだと正直に報道してくれなかったのか。
それが本来の新聞やラジオの使命というものだろう。
それを今ごろになってズボンでも裏返すように、いとも簡単に前言をひっくりかえす。
チャランポランな二枚舌、舞文曲筆、無責任にもほどがある。
いつだったか「新聞で本当なのは死亡広告だけだ」と言っていた人がいたが、おれももう金輪際、新聞やラジオなるものを信用しない。
というのは、いま言ったり書いたりしていることが、いつまた同じ手口でひ
っくり返されるかわからないからである。
それからこれも前から腹にすえかねていることだが、このごろの新聞やラジオが、ふた言目にはアメリカを民主主義のお手本だといって持ち上げている。
日本が平和な文化国家として立ち直るためには、この際もろもろの過去の行きがかりを捨ててアメリカと手を取りあって仲良くすぺきだといっている。こういう場あたり的なご都合主義を敗け犬の媚びへつらいというのだろう。それほど仲良くする必要があるのなら、はじめから戦争などしなければよかったのだ。
だいいち、それではアメリカを敵として戦って死んでいった者はどうなるのだ。
新聞やラジオの仕事にたずさわる人たちは、そういう人たちのことを一度でも考えてみたことがあるのだろうか。
おれはアメリカとの戦いに生命を賭けた。
一度賭けたからにはこのまま生涯賭け通してやる。
誰がなんと言おうと、アメリカはこれからもおれにとっては敵だ。
いまになって「昨日の敵は今日の友」などという浪花節は聞きたくもない。(p.46-47)

三菱財閥がかつて東条大将に一千万円を寄付したということが新聞に出て
いる。
これをみると、「戦争中軍閥と財閥は結託していた」というのはやはり事実のようだ。
それにしてもこんな気の遠くなるような大金を贈った三菱も三菱だが、それを右から左に受けとった東条も東条だ。
表では「尽忠報国」だの「悠久の大義」だの「聖戦の完遂」だなどと立派
なことを言っておきながら、裏にまわって袖の下とはあきれてものも言えな
い。
まったくよくもそんな恥知らずなことができたものだ。
むろんこれは氷山の一角かもしれない。
首相の東条さえこうなのだから、ほかのお偉方もわかったものではない。
天皇にもそれ相応の寄進があったのではないかと疑いたくもなる。
いずれにしろ、おれたちが前線で命を的に戦っていた最中に、上の者がこ
んなふらちな真似をしていたのかと思うと、ほんとに腹がたつ。
と同時に、これまでそういう連中をえらい指導者としててんから信じきっていた自分がなんともやりきれない。(p.87)


渡辺清氏の冷静な回想、p.220-221>
考えてみると、おれは天皇について直接なにも知らなかった。
個人的には会ったことも口をきいたこともないのだからそれは当然のことだが、そのおれが天皇を崇拝するようになったのは小学校に上がってからである。
おれはそこで毎日のように天皇の「アリガタサ」について繰り返し教えこまれた。
万世一系」「天皇御親政」「大御心」「現御神」「皇恩無窮」「忠君愛国」等々。
そして、そこから天皇のために命を捧げるのが「臣民」の最高の道徳だという天皇帰一の精神が培われていったわけだが、実はここにかくれた落とし穴があったのだ。
おれは教えられることをそのまま頭から鵜呑みにして、それをまたそっく
り自分の考えだと思いこんでいた。
そしてそれをいささかも疑ってみようともしなかった。
つまり、なにもかも出来合いのあてがいぶちで、おれは勝手に自分のなかに自分の寸法にあった天皇像をつくりあげていたのだ。
現実の天皇とは似ても似つかないおれの理想の天皇を……。
だから天皇に裏切られたのは、まさに天皇をそのように信じていた自分自身にたいしてなのだ。
現実の天皇ではなく、おれが勝手に内部にあたためていた虚像の天皇に裏切られたのだ。
言ってみれば、おれがおれ自身を裏切っていたのだ。
自分で自分を欺していたのだ。
郁男のかけた謎の意味もおそらくこのことだろうと思う。
いずれにしろ、いままでのおれは天皇を自分と等距離において見つめていく眼を持っていなかった。
この点にたいする自覚と反省がまるでなかった。天皇を一方的に弾劾することで、自分を”よし”とする思い上がりと逃避がそこにあったと思う。
天皇を責めることは、同時に天皇をかく信じていた自分をも責めることでなければならない。
自分を抜きにしていくら天皇を糾弾したところで、そこからはなにも生まれてこない。
それはせいぜいその場かぎりの腹いせか個人的なグチに終わってしまう。
そしてそれでことはすんだつもりになって、時とともに忘れてしまい、結局、いつかまた同じ目にあわされることになるのだ。
とにかく肝心なのはおれ自身なのだ。
二度と裏切られないためにも、天皇の責任はむろんのこと、天皇をそのように信じていた自分の自分にたいする私的な責任も同時にきびしく追及しなければならない。
おれは今にして強くそう思う。
戦争についてもまったく同じことがいえる。……。


加藤周一の怒り(『天皇制を論ず』、1946年3月)
加藤周一も、1946年3月に「天皇制を論ず」という論考を発表し、「恥を知れ」と保守派を非難した。
加藤はその理由を、後年こう述べている。
1945年、敗戦が事実上決定した状況のもとで、降伏か抗戦かを考えた日本の支配者層の念頭にあったのは、降伏の場合の天皇の地位であって、抗戦の場合の少くとも何十万、あるいは何百万に達するかもしれない無益な人命の犠牲ではなかった。
彼らにとっては、一人の天皇が日本の人民の全体よりも大切であった。
その彼らが、降伏後、天皇制を廃止すれば、世の中に混乱がおこる、といったのである。
そのとき彼らに向って、無名の日本人の一人として、私は「天皇制を論ず」を書き、「恥を知れ」と書いた。
日本国とは日本の人民である。
日本の人民を馬鹿にし、その生命を軽んじる者に、怒りを覚えるのは、けだし愛国心の然らしめるところだろうと思う。
ここでいう「人命の犠牲」は、敗戦直後の人びとにとって、抽象的な言葉
ではなかった。
敗戦時に26歳だった加藤は、同年輩の友人の多くを戦争で失っていた。
加藤によれば、「太平洋戦争は多くの日本の青年を殺し、私の貴重な友人を殺した。私自身が生きのびたのは、全く偶然にすぎない。戦争は自然の災害ではなく、政治的指導者の無意味な愚挙である、と考えていた私は、彼らと彼らに追随し便乗した人々に対し、怒っていた」。
こうして加藤は46年の「天皇制を論ず」で、天皇制を「個人の自由意志を奪い、責任の観念を不可能にし、道徳を頑廃させ」る原因だと批判したのである。(小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、p.134)

※前線の兵士の飢えと難渋(現在:国民の耐乏生活と企業努力)を大本営
(現在:政府)は無視し、「大和魂」や「神風」などの戯言をもってごまかし続けた。
この戦争の中に、現在(平成8~11年)の日本の姿が全て凝縮されていると
感じているのは筆者だけだろうか?
はじめ第十五軍の隷下にあった龍兵団が、後にビルマ方面の直属隷下部隊となり、さらに昭和十九年に、新設された第三十三軍の隷下に移ったといったようなことも、当時の芳太郎は、知らなかった。
師団の上に軍があり、その上にビルマ方面軍があり、その上に南方総軍があり、そのまた上に大本営があるといったぐらいのことは知っていたが、自分の部隊が十五軍の下であろうが三十三軍の下であろうが、どうでもよかった。
奥州町の萩原稔は、上の者がちっとばかり異常であったり馬鹿であったりしたら、それだけでたちまち何千何方の者が殺されるのが戦争だと言う。
大東亜戦争はちっとばかりの異常や馬鹿ぐらいでやれるものではなく、あれはもう大異常の大馬鹿だが、軍司令官だの師団長だのが、自分にできることで、ほんのちょっとでも異常や馬鹿から脱すれば、どれだけの人間の命が救われるかわからない。
その良いほうの見本が水上源蔵少将であり、悪いほうの見本が、たとえば第十五軍司令官の牟田口中将だと萩原は言った。
古山高麗雄氏『断作戦』(文春文庫) p.140)
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(鳥越注:龍陵会戦(S19.4~10)撤退のしんがりをつとめながら生き残った大竹さんはその手記のなかで・・・)
守備隊の兵士たちは、マラリア赤痢にかかり、連日連夜戦い続け、飢え、気力も体力も限界の状態にあった。
眼は開いていてもよく見えない、自分ではせいいっぱい走って突撃しているつもりでも、実はヨタヨタ歩きをしているのであって、喚声を上げたつもりが、声が出ていない。
そんなふうになっている兵士たちに、何時までにどこそこの敵陣地を占領せよ、と簡単に命令を出す上官が、不可解であった、と書いているが、許せないと憤っていたのではないだろうか。
勝算もないのに攻撃命令が出され、そのたびに戦死傷者をつくった。
肉薄攻撃をする敵なら、反撃するが、砲爆撃には手の打ちようもなく、ただ耐え忍ぶだけである。
一兵卒には、防禦の方法も攻撃の方法もない。
そのような状態が長期間続き、兵士たちは、外見が幽鬼のような姿になったばかりでなく、中身も異常になっていた。
なぜ、そのような戦闘を続けなければならなかったのだろうか。
断作戦(鳥越注:S19.7、中国雲南省の援蒋ルート遮断作戦。またしてもキチガイ辻政信の愚劣な発想)が発動されて、私が龍陵周辺高地に着いたころには、守備隊の苦痛は限界に達していたのだ。
もうこれ以上はもちこたえられない。
これが最期だと、守備隊の兵士たちが覚悟をしていたギリギリの状態だったのである。
古山高麗雄氏『龍陵会戦』(文春文庫) p.270)

※木村久夫の場合私は死刑を宣告せられた。
誰がこれを予測したであろう。
年齢三十に至らず、かつ、学半ばにしてこの世を去る運命を誰が予知し得たであろう。
波瀾の極めて多かった私の一生は、またもや類まれな一波瀾の中に沈み消えて行く。
我ながら一篇の小説を見るような感がする。
しかしこれも運命の命ずるところと知った時、最後の諦観が湧いて来た。
大きな歴史の転換の下には、私のような蔭の犠牲がいかに多くあったかを過
去の歴史に照して知る時、全く無意味のように見える私の死も、大きな世界
歴史の命ずるところと感知するのである。
日本は負けたのである。
全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。
日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒る
のは全く当然なのである。
今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。
これで世界人類の気持が少しでも静まればよい。
それは将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。
私は何ら死に値する悪をした事はない。
悪を為したのは他の人々である。
しかし今の場合弁解は成立しない。
江戸の仇が長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。
彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服は言い得ないのである。
彼らの眼に留った私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。
日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。
笑って死んで行ける。
….私は生きるべく、私の身の潔白を証明すべくあらゆる手段を尽した。
私の上級者たる将校連より法廷において真実の陳述をなすことを厳禁せられ、それがため、命令者たる上級将校が懲役、被命者たる私が死刑の判決を下された。
これは明らかに不合理である。
私にとっては、私の生きる事が、かかる将校連の生きる事よりも日本にとっては数倍有益なる事は明白と思われ、また事件そのものの実情としても、命令者なる将校連に責が行くべきは当然であり、また彼らが自分自身でこれを知るがゆえに私に事実の陳述を厳禁したのである。
ここで生きる事は私には当然の権利で、日本国家のためにもなさねばならぬ事であり、かつ、最後の親孝行でもあると思って、判決のあった後ではあるが、私は英文の書面をもって事件の真相を暴露して訴えた。
判決後の事であり、また上告のない裁判であるから、私の真相暴露が果して取り上げられるか否かは知らないが、とにかく最後の努力は試みたのである。
初め私の虚偽の陳述が日本人全体のためになるならばやむなしとして命令に従ったのであるが、結果は逆に我々被命者らに仇となったので、真相を暴露した次第である。
もしそれが取り上げられたならば、数人の大佐中佐、数人の尉官連が死刑を宣告されるかも知れないが、それが真実である以上は当然であり、また彼らの死によってこの私が救われるとするならば、国家的見地から見て私の生きる方が数倍有益である事を確信したからである。
美辞麗句ばかりで内容の全くない、彼らのいわゆる「精神的」なる言語を吐きながら、内実においては物慾、名誉慾、虚栄心以外の何ものでもなかった軍人たちが、過去において為して来たと同様の生活を将来において続けて行くとしても、国家に有益なる事は何ら為し得ないのは明白なりと確信するのである。
日本の軍人中には偉い人もいたであろう。
しかし私の見た軍人中には偉い人は余りいなかった。
早い話が高等学校の教授ほどの人物すら将軍と呼ばれる人々の中にもいなかった。
監獄において何々中将、何々大佐という人々に幾人も会い、共に生活して来たが、軍服を脱いだ赤裸の彼らは、その言動において実に見聞するに耐えないものであった。
この程度の将軍を戴いていたのでは、日本に幾ら科学と物量があったとしても戦勝は到底望み得ないものであったと思われるほどである。
殊に満州事変以来、更に南方占領後の日本軍人は、毎日利益を追うを仕事とする商人よりも、もっと下劣な根性になり下っていたのである。
彼らが常々大言壮語して言った「忠義」「犠牲的精神」はどこへやったか。終戦により外身を装う着物を取り除かれた彼らの肌は、実に見るに耐えないものだった。
しかし国民はこれらの軍人を非難する前に、かかる軍人の存在を許容し、
また養って来た事を知らねばならない。
結局の責任は日本国民全体の知能程度の浅かった事にあるのである。
知能程度の低い事は結局歴史の浅い事だ。
二千六百余年の歴史があるというかも知れないが、内容の貧弱にして長いば
かりが自慢にはならない。
近世社会としての訓練と経験が足りなかったといっても、今ではもう非国民として軍部からお叱りを受けないであろう。
私の学生時代の一見反逆的として見えた生活も、全くこの軍閥的傾向への無批判的追従に対する反撥に外ならなかったのである。
・・・(『新版 きけわだつみのこえ』岩波新書、pp.444-467)

※「軍神」とか「作戦の神様」とか、何を根拠に賞賛したのであろうか?。
暗号は悉く盗聴、解析され事実上作戦などはなきに等しかった。
いい気なものである。
「トルコの父」として、今でもトルコ国民に敬愛されている傑出した軍人
であり政治家「ケマル・パシャ」と比較したとき、我が国の軍部中枢の精神
活動に対して名状し難い稚拙さと卑怯さを感じる。

※日本がましな国だったのは、日露戦争までだった。
あとはーー特に大正七年のシベリア出兵からはーーキツネに酒を飲ませて馬に乗せたような国になり、太平洋戦争の敗戦で、キツネの幻想は潰えた。
司馬遼太郎氏著『アメリカ素描』より引用)

※日本軍は日露戦争の段階では、せっぱつまって立ち上がった桶狭間的状況の戦いであり、児玉(源太郎)の苦心もそこにあり、つねに寡をもって衆をやぶることに腐心した。
が、その後の日本陸軍の歴代首脳がいかに無能であったかということは、この日露戦争という全体が「桶狭間」的宿命にあった戦いで勝利を得たことを先例としてしまったことである。
陸軍の崩壊まで日本陸軍桶狭間式で終始した。
司馬遼太郎氏著『坂の上の雲<四>』より引用)

※日本人は敗れたことで過去をすべて否定し、現代の平和を享受しているが、本当にそれでいいのだろうか。
国家という存在が希薄で、しかも無防備な姿のままの今日の日本が、未来永劫に存在していけるのだろうか。
(星亮一氏著『戦艦「大和」に殉じた至誠の提督 伊藤整一』あとがきより)


★1942年(昭和17年)の国権の背景  
※医療はその公共性から国民とともに行政に翻弄され蹂躙されるおそれが最も高い分野であり、特に戦時中医師会は、戦争遂行のための国家組織の重要な一翼を担うよう国家統制された。
(一例:731石井細菌部隊の残虐性)
       
■「国民医療法」の制定、公布。
医療国家統制の始まり。
■医師会の官製化
・行政当局の監督を強化することにより、医師会を国家の別働機関たらしむる。
・軍医を除いて、医師の悉くが医師会へ強制加入とされた。
■特別法人「日本医療団」設立。
病院、診療所、産院の運営と医療関係者の指導練成がその任務とされた。
-----------------
■「日本銀行法」公布
政府の日銀に対する監督権は著しく強化され、日銀の国家的色彩がいよいよ濃くなり、戦争中は政府発行の膨大な国債と引き替えに日銀券を無制限に増発した。
このことは戦後に激しいインフレを招来するもととなった。
-----------------
■「食糧管理法」制定
昭和13年の「農地調整法」「国家総動員法」と、昭和16年の「臨時農地管理令」と合わせて、土地と米の生産についての全てが国家管理の網の目に入るように仕組まれた。
このことは地主の権利を著しく制限し、小作人の権利擁護となって反映され、敗戦後は農地改革が小作地を完全に解放した。
-----------------
■「翼賛選挙」(1942年、昭和17年4月30日、第21回総選挙)
※政府御用機関「翼賛政治体制協議会」(会長 阿部信行元首相) が選定、推薦した候補者が大量に立候補し、県、大日本翼賛壮年団、学校長、警防団、町内会長など、官民あげて手厚い支援が行われ、臨時軍事費からも一人当たり5000円の選挙費用が渡された。
推薦者は381人(定数466人)が当選。
----------------<「翼賛選挙」の様相>----------------
選挙は全く国民の自由である。
(中略) 
しかるにこれを思わずして一方的に特殊候補者を製造し、国民に対して官権の擁護あるものの如き印象を与え、自由候補者と対立せしめて選挙を争わんとするが如きは全く選挙制度の根本を紊(みだ)るものにして、世界に立憲政治始まって以来未だかつて見るあたわざる咄々怪事の至りである。
(中略)
若し他日我国の議会に政府盲従議員多数を占むることあらば、その形体の如何に拘らずその実質は全く独逸議会とその軌を一にし、立憲政治はここに滅ぶべく
(後略、『群馬県議会史』第四巻)
(楠精一郎氏著『大政翼賛会に抗した40人』朝日新聞社、 pp.186-187)


東条英機「内外の新情勢に応じ、大東亜戦争の完遂に向かって国内体制を強化、これを一分の隙もないものにするのが、今度の総選挙の持つ重大な意義だ。推薦制の活用が大いなる貢献と示唆をもたらすだろう」
(身勝手で空虚な演説といわざるをえない)。

※日本の政党政治は名実ともに消失した。
国内は太平洋戦争緒戦の勝利で沸き立っていた。
            -----------------
        
・ドイツがロケット兵器「V2」を完成(フォン・ブラウンら)     
アメリカ、マンハッタン計画を立ちあげる。(1942.9)
レスリー・グローヴス、ロバート・オッペンハイマーフェルミシーボルグらが中心となり原爆開発にいそしむ。

※レオ・シラードの箴言(しんげん。戒め)は無視された。
「人類が新たに解き放った自然の力を、破壊のために使った国は責任を負うことになろう。想像を絶する惨事に怯える時代への扉を開くことになる」。
  1943年(昭和18年)の補遺

■診療報酬支払い方式は「健康保険法」改正により健康保険、国民健康保険とも点数単価方式になった。
※医者は皆保険医で、その代価は村役場からとる由。
すなわち患者が病気になれば、医者はそれに投薬ないしは注射す。
その代価は村役場に請求するが、そこで値段を鑑定し、適当な値段を交附す。
したがって医者の請求するだけを払うのではない。
そして誰もその保健(ママ)会員であり、支払いは租税に応じて出すのだ。
清沢洌氏著『暗黒日記』岩波文庫、p.48)
-----------------
マリー・キュリー白血病で死去
1903年放射能の発見、1911年ラジウムの単離でそれぞれノーベル賞受賞)

プルトニウムの精製が、この年の年末より盛んになってくる。
またプルトニウム汚染が深刻な問題となり始める。
(アイリーン・ウェルサム『プルトニウムファイル<上>』)

・抗結核薬の発見
ストレプトマイシン(ワックスマン、シュルツ) PAS(リーマン、ロスダール

・カチン事件(1943)
当時ソ連軍に捕らえられていたポーランド軍将校5000人の射殺死体が、東ポーランドカチンの森で見つかった。
ソ連は長い間、カチン事件をナチスの所業としてきたが、1989年になってようやく、それがソ連軍の犯行であったことを認め、ポーランドに謝罪し、調査を約束した。
(荒井信一氏著『戦争責任論』岩波書店、p.134)

1944年(昭和19年)の補遺
ブレトン・ウッズ体制の幕開け(機軸通貨がポンドからドルへ)
ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズのホワイトマウンテン・リゾートに44か国から730人の代表があつまり、新しい国際経済体制づくりの計画が立てられた。
最終的な形はイギリス大蔵省代表ジョン・メイナード・ケインズと、アメリ財務省代表ハリー・ホワイトが練りあげた。新しい体制では、合衆国のドルが構造の核心となり、そのとき全能のドルを支えていたのは、世界の貨幣
用金の75%にあたる合衆国の金保有高だった。
この新しい体制では合衆国のみが通貨を固定レートで自由に金へ交換できるとされ、つまりはドルに国際通貨の地位を与えることになった(金1オンス(31.1035g)=米ドル紙幣35ドル)。
(※2023.8.23田中貴金属売価、金1オンス306,369円。当時1944年の1ドルは今の高騰する金価格で換算すると8,753円)
(ただし、この体制は1971年8月15日にニクソン大統領が一方的にドルの金への兌換を認めないという決定を下し(ニクソン・ショック)、それ以後従来の国際通貨制度は弱体化し消滅への道をたどることになった)。
※2008年3月現在、米ドルの力は1g=3000円で約30分の1になってしまっている。
副島隆彦氏著『連鎖する大暴落』徳間書店、p.128)

■ボナー・F・フェラーズ准将(マッカーサー軍事秘書官、心理戦責任者)の見事な分析による戦後の天皇制の維持への方針(1944年)。
(フェラーズ准将は米軍きっての親日軍人だった)
軍国主義者のギャングたちが神聖不可侵なる天皇の信頼をも裏切ったことを、大衆は実感するであろう。
軍国主義者たちが、帝国の神聖な統治者たる天子を没落の瀬戸際へと追い込んだのだ。
天皇をだます者は、日本に存在してはならない。
そう理解できたとき、これまで長い間表面に出られなかった保守的で寛容な勢力が真価を発揮する可能性が出てくるであろう。
彼らが先頭にたって政府を握り、彼らの手に残った日本列島と日本人と天皇を救うために必要な譲歩を行うかもしれない。
天皇が和平を裁可すれば、全員が納得するであろう。
そうすれば、日本を完全な廃墟にするほかなくなる前に、対日戦争は終結する可能性があろう。
休戦条件については、われわれはけっして弱腰であってはならない。
しかしながら、天皇の退位や絞首刑は、日本人全員の大きく激しい反応を呼び起こすであろう。
日本人にとって天皇の処刑は、われわれにとってのキリストの十字架刑に匹敵する。
そうなれば、全員がアリのように死ぬまで戦うであろう。
軍国主義者のギャングたちの立場は、非常に有利になるであろう。
戦争は不必要に長引き、われわれの損害も不必要に増大するであろう。
・・・・・
天皇にだけ責任を負う独立した軍部が日本にあるかぎり、それは平和にたいする永久の脅威である。
しかし、天皇が日本の臣民にたいしてもっている神秘的な指導力や、神道の信仰があたえる精神的な力は、適切な指導があれば、必ずしも危険であるとは限らない。
日本の敗北が完全であり、日本の軍閥が打倒されているならば、天皇を平和と善に役立つ存在にすることは可能である。
日本の政府については、権力を分散させ、それら相互のあいだにチェック・アンド・バランスの仕組みを持たせる必要がある。
天皇の側近は、すべて非軍人のリベラルな指導者でなければならない。
武装組織は、非軍人の責任者に従う国内治安用の警察だけに限定しなければならない。・・・
(ジョン・ダワー(増補版)『敗北を抱きしめて<下>』三浦洋一・高杉忠明・田代泰子訳、岩波書店、pp.9-11より)❞

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